日日是好日

書きたいときだけ。思ったときだけ。考えたことだけ。

数年前の文章を見つけた。

 2本USBを持っている。

 高校時代、もともと部活で使う用を持っていて、その後授業で提出もしなければいけないということでもう一つ購入して、2本。大学に入ってからは、容量が大きく空きが十分にあったため、2本目しか使用していない。

 先ほど、見たいものがあったので、部活用のUSBを数年ぶりに開いた。たくさんのフォルダの中に、記憶にないものがある。開いてみたら、ファイルが一つだけ。タイトルは「ONE」。それでも思い出せず、中身を見てみたら、当時読んだ本の感想のようなものだった。

 かなり感動したのは覚えている。でも、そんな文章を書いていたのは忘れていた。

 

 何度日記をつけようとしたことがあるけれど、いつも続かなかった。でも、私には覚えていられる自信があった。日記に書くような大事な思い出やたのしい記憶を、忘れない自信があった。それなのに、きっとこの頃から、詳細まで覚えていられなくなるということに気が付きだした。案外、人の記憶って脆いものだな。そんなもんなんだな。そう思って、残そうとした。映画や本を通して考えたことを。その文章も、そのつもりで残していたのだろう。

 そういえば、ここもそういう思いから作ったんだったな。1年以上書いていないから、消そうと思ったけれど、せっかく私が書くのが好きだってことに気付いた頃の文章を見つけたから、こちらに残しておこうと思った。別に誰も見ていないだろうし、誰も興味はないだろうけれど。私のために。

 

 

 

 『ONE』という作品を読んだときの話。

 

 

 

 私もこんなのが書けていれば。まぁ書けていれば今どうかなってたかと言われたら、別にどうもなってはいないんだろう。今みたいに、受験前に突然思い出したようにキーボードを打つような人間になっていただろう。

 

彼の芝居が好きだった。深夜に流れていた、ドラマの再放送。涙と鼻水で顔をグチャグチャにして泣いていた俳優が、心に焼きついた。演技がうまいとか下手だとか、そういうのは全く分からなかったけれど、それでも分かった。あぁ、これが「いい芝居だ」と。

 好きな俳優はいた。でもそれは、容姿が好みだとかそんな理由で、その人の演技については全く興味が無かった。だいたい、自分が経験したことも無いことの良し悪しなんて分からない。でも、彼の演技は違った。元々舞台俳優の彼は、主演を張るようなことは無いが、ドラマや映画の些細な役でも圧倒的な存在感を放つ、いわゆる実力派だ。人気演劇ユニットに所属している彼は、舞台やドラマの脚本を手掛けることも多いらしい。私はこれまで、演劇というものに、微塵も興味が無かったものだから、実際に舞台を観劇したことは数えるほどしかないし、それも学校行事で行ったものだ。初めて「演技」に感動した私が、彼の芝居をこの目で観たいと思ったちょうどそのとき、自信が脚本・主演を担当する一人舞台があるという情報を得た。それに連動する短編小説の企画もウェブ上でスタートし、彼は小説家としてもデビューすることとなった。

 と、そこで話はこの冒頭にたどり着くわけだ。つまり、これは彼が全ての短編とそれにリンクした戯曲を完成させ、刊行された本を読み終えた感想、とでも言えようか。

 今まで何本も脚本を書いてきた彼だが、小説を書くことは脚本のそれとは全く違ったものだと言う。舞台では表情や動きを「見る」ことができるが、小説には文字しか無い。その分、当然ながら細部にわたって描写をしなければならず、役者である彼にとっては「まどろっこしい」ほどらしい。

 しかし、脚本を書く上でも、小説を書く上でも共通しているのは、ベースに「経験」がないと書けないということだと言う。その話がまるっきり実体験というわけではないにしろ、何らかの経験がベースにある。じゃないと書けない、と。

 なるほど。確かに私には圧倒的に足りない。私の倍以上生きている人よりも、経験が豊富だなんてことは不可能だ。だからいいんだ、仕方がないんだ。

 ・・・・・・そう思うことができると思うか?