日日是好日

書きたいときだけ。思ったときだけ。考えたことだけ。

誰も喜ばないと思うけれど。その3

 「部長のひとりごと」は、この第3回で終了する予定だった。厳密に言うと、これを部誌に掲載するのはその号のみになる予定だった。実はこの号に第4回まであるにだが、4回目はある項目の前振り的に附属させただけなので、本編とは関係がほとんどない。そういうわけで、第3回限定のつもりだった。だから、最終的に「文芸部」を定義するという締め方をして、とてもよくまとまったと自負している。というより、もともと文芸部の定義をして終わることを決めていた。

 我ながら綺麗に締めたのだが、予想に反して、評判が良かったのである。同級生の数少ない部誌読者の友人たちや顧問の先生にも何故か好評で、高文連開催の大会では他校の文芸部の生徒たちや審査員となる大学の先生にも高評価をいただくことができたのである。部長ながら文芸の才能が乏しい私は、そんなふうに評価されたことがなかったので、それなら続けようかなあ、あと一年だし、と思ったというわけである。要するに調子に乗ったのだ。次年度は最終学年で、卒業制作となる部誌を作る予定だったため、最後まで続けることになった。この卒業制作での「部長のひとりごと」は、だいぶ面倒くさい性格が露呈しているのだが、それは次回以降また掲載することにする。

 というわけで、第3回。

 

 

 

  部長のひとりごと③

 

【文芸】

文物と学芸。また、学問と芸術。芸文。

文学。          (広辞苑

 

 今更ながら、私たちは文芸部である。「何部?」と聞かれ、「文芸部」と答えると、大半の人が「何する部?」と聞き返す。私たちがしている活動といえば、まず部室に集まって、しゃべる。たまに文芸誌を作るために、死ぬ気で作品を創作する。前述したとおり、わが文芸部には計画性と呼ばれるものが備わっていないからである。

 文芸部というお堅い名称のためか、私が感じる限り、文芸部は誤解されている。そんな、みんなで部室にこもって小説を書いたり、文豪について語ったりしているわけないではないか。むしろ、ゆかいな人格を持った人間の寄せ集めだと思ってもらってかまわない。ちなみに旧部室は、職員室の目の前、面接室の隣にある。そんな状況でも騒げてしまう文芸部員ときたら、なんて猛者なのだろう。さらに追記しておくと、現部室は校舎改築の際に新しくなり、三階中央階段横となった。相変わらず、騒いでいる。

 ではこの辺で、部員たちについて言及しておこう。私が言うのもなんだが、文芸部は他の部と比べものにならないくらい仲がいい部だと思う。最大の理由が一つ。誰かの悪口・陰口を決して言わないからである。嘘っぽい?綺麗事?いや、違う。なぜなら私たちは相手への不満さえ、面と向かって言ってしまうからだ。以前はそれで険悪なムードになることもあったが、今ではそれで喧嘩なんて幼稚なことはしない。たとえ、陰口を言われていようと、それだけのことをしているから、私に至っては納得だ。

 ちなみに、あまり言いたくないが、わが部は変人の集まりであることを否定できない。アニメや漫画に造詣の深い者、歴史好きのくせにジャニーズ好き、ゲーマーなどなど……。個性豊かという言葉ではもはや言い表せない域に達している。それがいいところでもあると思うが。

 さて、今回の文芸部誌を作るにあたって、勝手に始めたこのシリーズ。誰の得にもならないだろうが、個人的にこのページを大いに楽しませてもらった。最後にここで、わが文芸部というもの定義させてもらおう。

【文芸部】

①学校組織において、文化部に属する部活動。主に、文学作品の創作、研究を行う。

②個性に富んだ部員たちが、くだらないことで笑い、ふざけあい、面と向かって不満をぶつけ合い、そして締め切り間際に驚異的な能力を発揮する部。

 この場を借りて、あと一つだけ宣伝させていただきたい。わが文芸部は、常に部員募集中である。文章を書くのが下手だから、難しそうだからという理由で入るのを躊躇しないでほしい。文芸部の存続のためにも。

 

 

誰も喜ばないと思うけれど。その2

 読み返していたら、全編において部員たちのことを心配している気がする。これは我ながら随分とお節介な同級生であることだ。

 第2回のテーマは、単純にわたしたちに欠けている最大のものはこれだと思ったからである。ちなみに、約5年が経った現在も、身についていないとは情けない話である。未だに、憧れている。

 

 

 

部長のひとりごと②

 

【計画性】

物事を計画的に行おうとすること。(広辞苑

 

 わが文芸部の部員たちには、おおよそ皆無と言っていい要素である。私にいたっては、もはや憧れと言えるくらいの念を抱いている。ちなみに、これを打ち込んでいる現在、〆切をとっくに過ぎ、編集作業に入ろうとしているところであるにも関わらず、私の両隣ではいまだせっせと作品を打ち込んでいる部員が約三名。まぁ、私も人のことは言えないから、あまり強く言えない。

 ともあれ、私たちに一番足りないものは何かといえばずばり、計画性であろう。みんなそれぞれ個性豊かな作品を書く人たちだし、絵のセンスも抜群だし、時間をかければものすごい超大作を生み出しそうな気がしなくもない。しかし、かなり前もって〆切を伝えていようと、誰一人としてすぐ作品を書き出す者はいない。部活動以外の学校生活を見てもそうだ。たとえば、夏休み。ほとんどの人に経験があるのではないだろうか、夏休み前の大荷物。わが文芸部にも多聞にもれず、終業式の日にたくさんの荷物を抱えて帰る者がいる。しかもその手に持っている袋の数、約五つ。逆によく持てているなぁと感心するほどだ。そしておなじみの宿題。夏休みはもちろん、最終日に終わっていないことなんて当たり前だ。

 毎年のようにほとんどの部員があとがきに書いている、『次回はもっと計画的に』。いつもそのページを見るだけで悲しくなる。私たちには、そもそも学習能力というものが欠落しているのかもしれない。

 何をするにしても、計画性というものは大切なものだ。人生を豊かにし、充実したものにしてくれると思う。それが総じて欠落しているわが文芸部はどうしたらいいのだろうか。これから大人になって、社会に出て、果たして大丈夫なのだろうか。たぶん、なんだかんだで、みんな要領がいいから大丈夫なのかもしれない。余計なお世話と分かっているのに、そういう心配をしてしまうのも、私の悪い癖だ。しかし、私たちには直接の先輩がしばらく不在のため、私たちが文芸部の最高学年になってから三年。いまだにこのような状況だというのはいかがなものだろうか。もう先輩がいないからなどと言い訳もできない。言われなくても、作品を書き溜めておくのが正しい文芸部のあり方だと思うのだ。物語を作ることを楽しむのが正しい文芸部のあり方だと思うのだ。いまや〆切ぎりぎりに苦しむのが、わが文芸部となってきている。おそらく、私たち高校二年生は、このように文芸誌を発行できるのは、あと数えるほどしかない。最後の卒業制作ぐらい、計画性を持つことはできるだろうか。

 

 

 

誰も喜ばないと思うけれど。その1

 数年前の文章を発掘したついでに、高校時代いちばんたのしんで書いていた「部長のひとりごと」も載せていこう。誰も喜ばないと思うけれど。さらに、誰もたのしみにしてないけれど、勝手に一日一個ペースで小出しにしていこう。ちなみに2012年に書いた文章らしい。

 

 そもそも、「部長のひとりごと」というのは、私が勝手に始めたエッセイのようなもので、何故か友人や先生から評判がよかった。だから調子に乗って勝手に続けていた。

 書き始めたきっかけは、現代文の授業だった。「山月記」を読んでいた。あの男が虎になるあれ。そのときどうしても気になったことがあって、どうしてもそれをどこかに発散したくて、書いたけれど発表の場がないから、部誌に載せるという部長の職権乱用をしたまでである。ひとつだけでは何のコーナーなのか本当に訳が分からないので、そのままいろいろと日常で気になったこと、考えたことを思想だだ漏れでつづるコーナーと化した。

 というわけで、今日は記念すべき(?)第一弾。

 気付いてくれたら、誰かが懐かしいなと思ってくれたらうれしい。そもそもの当時の読者もわずかだっただろうけれど。

 

 

 

 

部長のひとりごと①

 

【自尊心】

自尊の気持。特に、自分の尊厳を意識・主張して、他人の干渉を受けないで品位を保とうとする心理・態度。プライド。(広辞苑)

 

  国語の教科書に出てきたこの言葉。自尊心=プライド。ためしに「プライド」を広辞苑で引いてみても、もちろん自尊心と載っている。ここで疑問が生まれた。プライドが高いというのは、自分を尊ぶ心が高いということなのだろうか。

 では、ここで私の話をさせていただこう。私は、端的に言うと、面倒くさい人間である。自分が関わっていることは、なるべく全てを把握しておきたいし、なんだかんだで負けず嫌い。委員会の委員長も引き受け、忙しいと言いつつ部長の座は譲ろうとしない。……書き連ねてみると、改めて気付く。なんて面倒くさい人間なのだ。自己嫌悪。友人たちに言わせれば、それは部の存続のためだそうだ。しかし、残念ながら私はそんなに優しくない。

 ここで自尊心の話に戻ろう。前述したとおり、私はこのような性格で、加えてたぶんプライドが高い。山月記よろしく、虎になるとまではいかないが、自分への期待が大きいとでも言うか。人を頼ることを知らないとか、自分のことを賢いと思っているとか、そういうことはない。そして、私がここで強調したいのは、これが「プライド」であって、「自尊心」とは少し異なる点だ。私のこの厄介な性情は「自分を尊ぶ心」なんて美しいことではなくて、結局のところ、ただのわがままなのだ。わがままな私を、周りが少し見誤っていて、いい人だとか、しっかりしているとか思ってくれて、だから私はこうやって部長や委員長をやらせてもらえている。これはとても有難いことである。同時に周りは私のことを過信していて、私も私のことを過信している。回りまわって、私は図に乗る。だからといって、私をもっと厳しく扱ってほしいとか、そういうことではない。ここまで、うじうじ言っておきながら、私はこんな性格だから、結局自分がかわいいのだろう。

 

 

数年前の文章を見つけた。

 2本USBを持っている。

 高校時代、もともと部活で使う用を持っていて、その後授業で提出もしなければいけないということでもう一つ購入して、2本。大学に入ってからは、容量が大きく空きが十分にあったため、2本目しか使用していない。

 先ほど、見たいものがあったので、部活用のUSBを数年ぶりに開いた。たくさんのフォルダの中に、記憶にないものがある。開いてみたら、ファイルが一つだけ。タイトルは「ONE」。それでも思い出せず、中身を見てみたら、当時読んだ本の感想のようなものだった。

 かなり感動したのは覚えている。でも、そんな文章を書いていたのは忘れていた。

 

 何度日記をつけようとしたことがあるけれど、いつも続かなかった。でも、私には覚えていられる自信があった。日記に書くような大事な思い出やたのしい記憶を、忘れない自信があった。それなのに、きっとこの頃から、詳細まで覚えていられなくなるということに気が付きだした。案外、人の記憶って脆いものだな。そんなもんなんだな。そう思って、残そうとした。映画や本を通して考えたことを。その文章も、そのつもりで残していたのだろう。

 そういえば、ここもそういう思いから作ったんだったな。1年以上書いていないから、消そうと思ったけれど、せっかく私が書くのが好きだってことに気付いた頃の文章を見つけたから、こちらに残しておこうと思った。別に誰も見ていないだろうし、誰も興味はないだろうけれど。私のために。

 

 

 

 『ONE』という作品を読んだときの話。

 

 

 

 私もこんなのが書けていれば。まぁ書けていれば今どうかなってたかと言われたら、別にどうもなってはいないんだろう。今みたいに、受験前に突然思い出したようにキーボードを打つような人間になっていただろう。

 

彼の芝居が好きだった。深夜に流れていた、ドラマの再放送。涙と鼻水で顔をグチャグチャにして泣いていた俳優が、心に焼きついた。演技がうまいとか下手だとか、そういうのは全く分からなかったけれど、それでも分かった。あぁ、これが「いい芝居だ」と。

 好きな俳優はいた。でもそれは、容姿が好みだとかそんな理由で、その人の演技については全く興味が無かった。だいたい、自分が経験したことも無いことの良し悪しなんて分からない。でも、彼の演技は違った。元々舞台俳優の彼は、主演を張るようなことは無いが、ドラマや映画の些細な役でも圧倒的な存在感を放つ、いわゆる実力派だ。人気演劇ユニットに所属している彼は、舞台やドラマの脚本を手掛けることも多いらしい。私はこれまで、演劇というものに、微塵も興味が無かったものだから、実際に舞台を観劇したことは数えるほどしかないし、それも学校行事で行ったものだ。初めて「演技」に感動した私が、彼の芝居をこの目で観たいと思ったちょうどそのとき、自信が脚本・主演を担当する一人舞台があるという情報を得た。それに連動する短編小説の企画もウェブ上でスタートし、彼は小説家としてもデビューすることとなった。

 と、そこで話はこの冒頭にたどり着くわけだ。つまり、これは彼が全ての短編とそれにリンクした戯曲を完成させ、刊行された本を読み終えた感想、とでも言えようか。

 今まで何本も脚本を書いてきた彼だが、小説を書くことは脚本のそれとは全く違ったものだと言う。舞台では表情や動きを「見る」ことができるが、小説には文字しか無い。その分、当然ながら細部にわたって描写をしなければならず、役者である彼にとっては「まどろっこしい」ほどらしい。

 しかし、脚本を書く上でも、小説を書く上でも共通しているのは、ベースに「経験」がないと書けないということだと言う。その話がまるっきり実体験というわけではないにしろ、何らかの経験がベースにある。じゃないと書けない、と。

 なるほど。確かに私には圧倒的に足りない。私の倍以上生きている人よりも、経験が豊富だなんてことは不可能だ。だからいいんだ、仕方がないんだ。

 ・・・・・・そう思うことができると思うか?

 

 

 

やっと離れられそうだと思ってる。

文芸部だった。

中高6年間、そのうち3年間部長をした。楽しかった。今こんな人間になっているのは、ここでの経験が大きいんだろうなって思ってる。それは我ながら良いことであり、良くないことでもある。

文芸部で作る部誌で、エッセイのようなものを書いていた。楽しかった。誰もやっていなかったから。誰にも批評されないから。いろんなことを考えることが好きで、面倒な性格をしているから、たぶんそこに書いていたことも面倒くさい発想や悩みばかりだったのだけれど、何故だか面白いと言ってもらえた。辞めたくないなあと思っていた。だから続けようと思って、ネット上でやろうと思ったけれど、なかなか書かない。書きたいという思いは、いろんなものに追いやられていっていた。

あえてこのなんでもないタイミングで新しく書く場を設けてみた。ときどき見返して、自分まだ面倒くさいなあと自覚する場になるくらい、とにかく書いていこうと思う。

文芸部のころ書いていたエッセイのようなもののタイトルのまま書こうと思っていたけれど、なんとなくそれは違うような気がした。あんなに執着していたのに、我ながら成長かもしれないと思う。3年以上経って、やっと文芸部離れできそうな気がしている。